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昔から 紀行文を 書きたい と 思っていました。
私の本棚には、 「ドイツ紀行」、「イギリス 歴史と旅」 など 沢山の旅行記があります。 正直 理屈っぽくて 面白くないです。 どうしたら 楽しい旅行が こんな堅苦しい 活字になるのかがわかりません。 私は、単なる 旅行記ではなく 人物 土地を 抉るように 観察し、電池が切れるまで 舐め歩き、石畳み 一枚一枚 めくるような 文章を 書きたいと おもっています。(実際 石めくったところで、ナメクジしか いないかも しれませんが 笑) ちょっと 第一弾 書いてみました。 十三から 梅田に向かって歩く場合 淀川大橋を 渡らなければ なりません。
橋自体は 広いですが 歩道部分は極端に狭いです。 そこに 人間以上の 自転車の往来があります。
猛スピードで チャリンチャリン 鳴らしっぱなしで 皆 走っています。
オーストラリアでは エスカレーターは 左によって右に通路をあけます。
日本では逆に 左に通路を 開けます。
右に寄る べきか 左に寄るべきか 考えている間もありません。 後ろから 前から ドンドン 来ます。
正直 危ないです。(オーストラリアの様に 気楽にいきません。)
私は 大阪に帰ると 急に大阪弁になり、
「危いやろ! 何 考えてんねん。」 と、怒りながらも、 「なるほど チャリンコは 名付けの妙だな!!」 なんて つまらない事を考えています。
オーストラリアで チャリンチャリン 言わせて走る人はいません。 第一、『どけ!!』 という対象がいません。オージーに 自転車は 日本では チャリンコです。 と 言っても、その発想事態 理解不能と思います。
その橋を 梅田側に渡り終えた所に 水防碑 が立っています。
「災害は 忘れた頃に やってくる」 なんて 書かれています。
過去 何度となく目にしていますが 随分つまらないことを 書いている。と、思ってました。
「忘れた頃? いわれんでも 分かってるわい。」 ってことですね。
いっそ 商業の都です。『損して得取れ!』 みたいな 生々しいものの方が、大阪人は ハッと します。
商売していると 不渡り 商品不良 客からクレイムがついたり 後ろ向きの仕事がどうしても発生します。
その度に 神経を すり減らすのではなく 気持ちよく片付け 次は 儲けさせて貰おうと 気持ちを切り替えた方がプラスです。
河川敷ですから 建物は 無理かもしれませんが、バカ高い梅田で 高級御影に彫られており、 明らかな税金無駄遣いです。
今年 6月の 帰国時 ふと この碑を見かけ 思わず 神妙に立ち止まりました。
いままでと 全く違う 風情 がありました。
2011年 1月12日の洪水被災から 1年半経っており あの時の苦しみを 忘れかけていたからです。
今でこそ お話できますが 最悪でしたね。 本当に苦しかったです。
「また 忘れた頃 きっとくるな」 と つくづく 思いました。
ステイ シャープですね。
一言だけ 言わせて頂きたい事があります。
現在 弁護士が先頭に立ち 2011年1月の 洪水被害者達が 州政府ダム管理局を突き上げています。
その リーガル プロテクションたるや7億円です。 すべて税金になって 州民に跳ね返っています。
いい大人が いつまでも 甘えるんじゃない。 という事です。
娘に 弁護士の道を歩ませている人間が こんな事を言うといけませんが、「弁護士も くだらない食い扶持探すな」 と言いたいです。
ブリスベンの面積は ロスに続く 世界第2の規模です。
いくら小手先で 小さな水門を操作しても 大雨が降り、溢れ出す水を 制御するのは不可能です。
それに 我々が 被災した時 どれだけ 州政府に お世話になったか わかりません。
如何なる事があっても、絶対に ご恩を忘れてはいけません。 地震 フラッド は、天災(mother nature ) です。 人の所為にしても はじまりません。 援助を差し伸べてくれたことに感謝し 自力 復帰の道を 歩まねばなりません。
話を戻します。
(事件は 忘れた頃に。)
前回の ワンデーは 6月23日 土曜日でした。
24日 翌日の 日曜日の夜 PC が トラブリました。
私は 「ワンデーが 終わっていて 良かった。」 と つくづく思いながら 必死で問題に取り組んでいました。
結局 解決方法が 見つからぬまま リカバリーをかけ 床に就いたのが 午前 0時30分頃でした。
家内は 犬が グ~~! と 怒るので トイレかな と思い 午前 2時に 庭で おしっこさせました。
その時 物置 冷蔵庫の上の 戸棚が少しづつ 開いており 私が何か探したのかナ。と 思い しめ直して
寝たそうです。
私は 翌日午前3時半に 起きました。 (3時間しか 寝ていないことになりますね。笑)
仕事部屋に入ると 椅子の上に 家内の 靴が ぽ~~ん と 無造作に おいてあります。
犬の ももが 遊びに来たな? 程度におもいました。
(それにしてもチビだから 届かない筈だけど なんて ちょっと 気になりだしていました。)
机に座っていましたが、 何か 変な感じがします。
名刺カードを 漁った様な 感じがしますし、引き出しの中も いつもと 違う気がします。
家内が 何かを 探したかなと思いつつ 未だ 深夜ですから 起こしてまで聞けません。
朝 仕事部屋をはなれ トイレに行くと 応接のカーテンが 突然 微妙にフワ~と 風になびきました。
「あ! 窓が開いてる??」
怪訝な思いで 駆け寄ると フライスクリーンが 外され 芝生に 放り出されています。
「やられた!!!」 泥棒です。
空き巣ではなく 夜 我々がいる間に やられています。
(ももちゃんは、 可愛いだけで役に立ちません。飛んでいって 泥棒に大怪我させ 腕の一本 二本 千切って来ないと。)
ふと ブリック フェンスに 目をやると コインが 固めて置いてあります。
私は 盗ったものを 何かに慌てて 忘れていったのだと 思いました。
ところが 良く見ると コインに混じって 携帯のSIM カードも混じっています。
これは 侵入する際 ジャラジャラ言うので ポケットから掴みだし その時 SIMも同時に出したのだと 推理しました。泥棒の持参金です。(勿論 SIM は 彼が 携帯を盗んで 抜き出したものです。)
慌てて 家の中の物を 確認しましたが、特に被害が思いつきません。
何らかの 要因で 多分 慌てて飛び出しています。 と言う事は、私は 泥棒に入られて お金が 儲かったことになります。
そんな話 前代未聞で、正直 (一瞬ですが) 俺は やっぱり 人生ついてる と 思いました。
でも 世の中 そう 甘くありませんね。 時間が経つにつれ あれない これない と、 多少 貴重品を含め 被害が発覚しました。 (私、杜撰で、そこら中に お金や 貴重品 置いています。 いつも、あれ? こんな所にお金が?! ラッキー!! と 見つける事も多く 本当は もっと盗られているかもしれせん。)
でも、今回の事件 よくよく考えると 私のミスで 今まで 泥棒が入らなかったことに感謝しないといけません。 ちょっとした 戸締り 整理整頓 を 励行していれば防げたことです。
寝る前 一つ一つ施錠を 確認する。(よく 夜 ガレージが空いている家がありますが もっての他です。)
それから 金銭類 鍵 貴重品は 毎晩 場所を決め 隠さないといけません。
私に 限って絶対大丈夫と 思っておられると思いますが、必ず 災害は 忘れた頃に 起きます。
常に 適度に緊張し リスク回避して下さい。
結局 「忘れた頃に」 標語。 感慨深く眺めたわりに 生かしていなかったことになりますね。
それより ---。 これ 紀行文?? って 事ですよね。
それにしても、泥棒。 後から じわじわ 腹立ちます。 気をつけて下さい。
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どの辺りから ヨーロッパが登場し紀行文らしくなるの?と思われるかもしれませんが、余り人文、地理、歴史を書くつもりはありません。そういう事は、歴史家や学者の仕事で、私が書いても薄っぺらで深みがありません。
勿論、歴史なくしてヨーロッパは語れませんから、適当に入れますが、軽妙洒脱を旨とする堤ブログですから肩が凝らないよう、即ち どうでもいいような事ばかり 面白おかしく書くつもりです。
先ず、私の様な中高年が年々失せて行く好奇心の中で どの様にヨーロッパ旅行を決断したか? この点から書きたいと思います。
私は元々旅好きでした。 旅が好きというのは、(私の場合に限ってですが) 一人物思いに耽ったり、テクテク歩くのが好きから来ています。勿論、歩くのが苦手でもドライブが好きなら旅はできますが、旅の醍醐味は、やはり、街の練り歩きにあり、今回も靴が磨り減るくらい歩きました。
ただ、旅が好きでした。とわざわざ過去形で書いたのは、今は?というと ちょっと微妙だからです。
銀行は、出張の無い世界で、血気盛んな時期には つまらない業種です。 何故 出張が無いのかというと、丁度 国境の様に銀行各支店には縄張りがあって、他の店の地域に侵入できない決まりになっています。
たまたま他の地域の仕事が舞い込むと、業務連携とかいって、 「お宅の領海の方が 私の店に来てまっせ!! 連携させていただきます。」 と 一番最寄の店に顧客を戻さないといけません。
私は 都銀に5年勤務しましたが、研修で天満に行った以外出張した記憶がありません。 天満というと大阪以外の方には馴染みがありませんが 私が勤務していた淀屋橋の本店から 歩いていける距離で出張なんて呼べるものではありません。
そういう旅の無い銀行員生活が基礎にあったので、商社にかわって数年は夢の様でした。 回りが 出張出張で ザワザワしています。
「岡道さん 何処行くんですか?」なんて聞くと、 「ああ、NY に2週間行ってきます。」
「ええ~~! 羨ましいですね。連れて行ってください。」 「今年 3回目ですよ。 もう うんざりですヨ。代ってください」 なんて贅沢いってます。 「岡道。 五番街の スズランって店あっただろ。 貴子ちゃん 元気か見てきて!!」 なんて声が飛びます。 「貴子 随分前に 辞めたじゃないですか。」
勿論、スズランは いうまでもなく日本のワーホリを集めている キャバクラです。 まあ 昼間は真面目な顔していますが、夜何をしているのか分らないのが、商社マンです。
というのは、他の石炭部や 物資部の連中はチームで動いています。 「前回は 俺がいったから こんどは お前が行け」 「え? いつも そう言われますけど私ばかりですよ。」 みたいなやり取りをしながらも 出張分担できます。 私は、畜産と食品に所属していましたが (後に物資、資源開発も引き受ける羽目になりました。) 私一人です。
どんな出張生活をしていたかご紹介しますと。 QLD州の北、エメラルドという町があります。 そこから 更に 3-4時間内陸に入ると、ミドルマウントという ど田舎があります。「ハエってこんな大きな音で飛ぶの? 」と 驚くほど静かなところです。そこで 丸々一ヶ月生活した事があります。
ある種装置の備え付けの監視でしたが、最初、じっと見学していました。そのうち気が狂うとおもうようになり、もう現場の人に混じって!というより、一番必死で土方仕事をしていました。早く帰る為です。
他にも長い出張は色々ありましたが、シドニーの担当者が忌引きで一時帰国してしまいピンチヒッターで数週間行った事もありました。その時は楽しかったですね。ホテル暮らしで、シドニーは大都会ですから。
長さだけではなく、出張がオーバーラップしていることも頻繁にありました。 QLD州北部に出張していて、オフィスに電話すると、「マウント ギャンビアに直ぐ行ってくれ。」 と 言われたことがあります。
「え。 マウント ギャンビア? 何、それ??」 と、 地図で調べると、何と 南オーストラリア州で アデレイドの近くです。(材木積み出しを見に行け という仕事でした。) 私は亜熱帯のQLD州北部で 5月くらいでしたが 半袖 綿パンという イデタチです。 マウント ギャンビアに着いた途端 皆 分厚いコートを着ており、震え上がったのを覚えています。
2-3年は 結構 そんな生活を楽しんでいましたが、段々同じ場所への出張が増えたりして退屈になってきます。それに、余り長くなるとホームシックにかかります。 「ああ、 家族と ゆっくりしたい。」 「娘やペットと 遊びたい。」 という感じです。
別に商社マン時代の愚痴をたらたら?羅列しているのではありません。 ヨーロッパに行く前に旅をどう捉えていたか ちょっと 触れさせて頂きたいのです。
ヨーロッパへ行こうと 家内との間で 話が持ち上がったのは 彼是 7年くらい前だったと思います。 その間、ビデオカメラを買ったり デジカメを買いなおしたり 準備ばかりしていました。 ヨーロッパのガイドブックも、殆ど 東欧 北欧 西欧 と、揃えました。要するに行きたいという気持ちが高まるよう環境を整えていたのです。
どうしようもなく高まって行く家内の意識と裏腹に 私はどんどん醒めていきました。
先ず、ノイシュバンシュタイン城やモンサンミッシェルなど 見たい所を全て網羅すると一ヶ月くらいかかります。 これは、私の様な個人事業者にはかなりきついです。「ああ~ゆっくり静養した。」と 帰ってきたら 誰からも相手にされなくなります。
それから、ヨーロッパ滞在中も常に 家が気になります。 いくら現地でスリに遭わないよう、物を落さないよう注意しても、家が泥棒に荒らされ無茶苦茶にされたのでは意味がありません。
それら、しがらみが色々あって、中々踏み切れずグズグズしていました。 でも、2014年度の上半期の利益の状態から、今年 万が一いけなかったら 恐らく 65歳の引退まで無理だと思うようになりました。 万難を乗り越え 今年、行こうと思うようになりました。
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普通日本で旅行というと長くても9泊10日です。 ブリスベン空港発 アムステルダム 着 (同日) 午後 8時 到着後 アムステルダムにて 2泊
スキポール空港から国鉄で20分 10ユーロ 3番線。中央駅からホテルまで 徒歩10分。
9月9日 (火曜日) ザーンセ スカンス観光 DAY2
①アムステルダム中央駅からアルクマール行きで各駅停車で約15分 Koog Zaandijk(コークゥ ザーンダイク)駅下車徒歩15分
②アムステルダム中央駅Amsterdam Centraal Treinstation から徒歩3分の CS Oosterdokskade Amsterdam から近郊バス91番Zaandam方向行きで所要約35分 Zaanse Schans Zaandam 下車すぐ目の前です。
朝 HEMAにて寿司購入 ザンセスカンスの濡れたベンチで食べる。寿司の味がしないものもあった。
9月10日 (水曜日) DAY 3 早朝 ベルギー ブリュッセルに。 ホテルチェックイン 市内観光。グランパラス 小便小僧 王宮 など
(交通機関) THALYS 9328 9:18 アムステルダム CENTRAA駅 11:08 Brussell MIDI 駅 着 ミデイ着後 セントラルまで移動 セントラルから徒歩10分。(途中 チャペル駅があるのみ) 車窓進行方向右に巨大王宮が見える。 MIDIでトイレ 早速50cユーロ取られる。
ブルージュ ゲント 終日観光 ブリュッセル泊
朝食ブルージュ駅にてバゲット サンド購入。 昼はゲントにて、ローカル料理。
(交通機関) ブリュッセルから 国鉄で 50分 行きはブルージュ直通 帰りは ゲントに立ち寄れるチケットにする。 日程がきついので日帰りツアー。
9月12日 (金曜日) DAY5 ロンドンへ 市内観光 ウエストミンスター寺院 大英博物館 ロンドンアイ ロンドン泊
(宿泊)
パンクラス駅から メトロで ANGEL 駅へ 一駅 徒歩 また ホテルから パンクラスまで 歩いて 10分
(交通機関) Eurostar 9117 Direct - 2h05m
9月13日 (土曜日)DAY6 引き続き ロンドン市内観光 ロンドンタワーブリッジ ロンドン塔 バッキンガム宮殿 オックスフォードサーカス ロンドン泊
Point of interest 3 Savile Row, London, UK (ビートルズ LET IT BE 会散前のROOF TOP CONCERT)
9月 14日 (日曜日) パリへ 到着後市内観光 モンマルトル
キリアド パリ 10 - ガル デュ ノール 37 rue Saint Quentin 10th arr. - République Paris, 75010 ナポレオンⅢ世広場から サンカンタン通りを探す。駅の前
交通機関 Euro star 9029 coach 3 13:31 London St Pancras 16:47 Paris Nord
昼 駅構内のランチ弁当店にて種々パン サラダを購入。
9月 15日 (月曜日)
モンサンミッシェル 観光 パリ泊
▲アクセス NORDから 朝5時29分のメトロにて モンパルナスに行く。 モンパルナスからTGVでレンヌRENNESまで約2時間 レンヌ駅北口(SORTIE NORDと表示)より約50メートルのところにあるバスターミナル(GARE ROUTIERE)からモン・サン・ミッシェルまで直通バスが運行。バスに乗ると左側に座る事。(ミッシェルが見える)
9月16日 (火曜日) ベルサイユ宮殿 観光 パリ泊
交通機関
9月17日 (水曜) 終日パリ市内観光。 ルーブル美術館 (チケットは GARE DE NODE 観光局にて 購入) コンコルド広場 シャンゼリゼ通り 凱旋門 エッフェル塔 見学。
9月 18日 (木曜) ドイツ ミュンヘンに移動 即 市内観光。 終着駅はPASSING CENTRAL まで 移動 (数駅)
(宿泊ホテル)
交通手段 TGV
9月19日 (金曜日) ノイシュバンシュタイン城見学 午前8時10分 中央駅前に集合。ガイド NANCY
夜遅く帰ホテル。
9月20日 朝 フィレンツへ フィレンツ泊
交通手段 09:38 MUENCHEN HBF 20/09/2014 17:10 FIRENZE S M N 2 travellers AUD 332 Eurocitybrenner 85 / Frecciarossa 9573 1 connection - 7h32m SMNは サンタマリア ノベラ駅 改札を出て左折 徒歩10分に送迎バス駐車場あり。車でホテルまで13分。
9月 21日 ピサの斜塔 見学 予定 (中止) 日曜の為 列車キャンセル 変りに フィレンツエ観光。 フィレンツエ 泊
見学場所。 ドーモ 天国の扉 昼、CAFEでピザ 2回食す。ピザハット以下だった。ガッカリ。
9月22日 フィレンツから ローマに 早朝移動。(午前8時 ホテルから 送迎バスあり 8時40分到着) ローマ市内観光 トレビの泉 スペイン階段。
HOTEL GIOBERTI Via Gioberti, 20 - 00185 Roma Reservation Dep Tel. +39 06 83 39 49 71 Reception Tel +39 06 44 40 625 Fax +39 06 44 40 622 http://www.hotelgioberti.it - marzia.f@hotelgioberti.it
(交通機関) 所用時間
9月 23日(火曜日) バチカン市国 システイーナ観光 サンタンジェロ城 コロッセオ観光。 チケットーーー午前9時30分 2KISIQH70000002RQ 2People
9月 24日 (水曜日) ローマ 市内観光 (ローマPASS 48時間券を 買う --- 中央駅26番線に窓口あり) ホロロマーノ 真実の口(サンタマリア教会) カラカラ帝浴場後
ローマ ジオベルテイ泊
9月25日 (木曜日) 午後 アムステルダムへ 飛行機で 空港まで 直通バスあるのだが、その日は運休。仕方なく電車でCENTRAA へ。 4ドル・PP 約1時間のドライブ。 アムステルダム 5つ星 ホテルオークラ SWEET ROOM 宿泊 晩 ミシェラン 2つ星 レストランで食事。(400ドル)
9月26日 (金曜日) 土産とDUTY FREE 買い物。 ホテル オオクラ ホテルから空港まで移動はタクシー。(ベンツE220)
夜 21時40分発 アムステルダム ドバイ行き
9月28日 午前ブリスベン到着。
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日本を代表する建築家、黒川紀章。
心斎橋のソニータワーも彼の設計ですが、完成当時、思わず、「でかした。黒川!!」と、叫んでしまいました。 当時、ソニー=世界最高ブランドというイメージが定着しており、その威容を誇示する上でも最高の立地、最高のデザインでした。
彼は、生前、自分が書いた設計図の中を足が棒になるくらい歩く。と言っていました。 つまり、何処かの空き地に行って、自分がデザインした想像の建物の中を歩き回りシュミレーションするのです。 「此処に非常口をつけたほうが良い。」 「もうすこしこの辺り、スペースを増やそうか。」という感じだと思います。
私は、その黒川発言があったからかもしれませんが、自分の旅程表ができてから、GOOGLE MAPを駆使し、毎晩毎晩、いく先々の街を歩きました。 大変上手くできており、もう、現地に行かなくてもいいか。とさえ思えました。
ただ、何処へでも入っていけるわけではないのと、歩いていると体が勝手に回転して方向を失います。時々変な場所にトランスし何処を歩いているのか分らなくななることもあります。実際、帰国してからの方が多少ましに歩けるかな?と、懐かしさにかまけて歩き直しましたが結果は同じでした。
それに、私は奥へ奥へ入っていくゲームは船酔い状態になり、長くすると気分が悪くなります。最後はいつも青い顔をしながら、吐きそうになりながら歩いていました。
歩きながら宿泊するホテル、駅までの道順、訪れる名所の位置確認など色々自分なりにポイント設定し、スケジュールやホテル、高速鉄道などのアレンジに手抜かりはないか?美術館、博物館で前売りチケットの必要なものも手当てしているか?チェックしていきました。
実際、これ以上の準備はあり得ないというところまできていました。
ところが、そんな時、ドキンとする出来事が起きました。
私達の出発は9月8日月曜日 午前2時のカンタス便でした。 それをどう勘違いしたか、私も家内も月曜日の午後6時ごろ、犬と貴重品を北に住む娘のところに預け、夜11時ごろ早めに空港に行こう。と計画していたのです。 留守中家の面倒を見ていただく友達にも、翌日火曜日から来ていただく約束をしていました。
出発3日前になって、家内が急に、 「出発日なんだけど、月曜午前2時出発ということは、 私達、日曜日出発でないとまずくない?」 と言い出したのです。私は、まだ、出発してもいないのにドキンとしました。 全くその通りです。午前2時の飛行機に乗るのに月曜の夜空港に行ったのでは火曜日の飛行機になってしまいます。
大事に至る前に気付きましたし、単なるお粗末な勘違いのお話ですが、私は頭に杭を打たれたようなショックをうけました。 というのは、こんなボーンヘッドで、いままで、列車やヨーロッパを移動する飛行機など交通手段、ホテル、入場券など等、大枚はたいてブッキングしてきましたが、もしかすると時差や日程を間違えて一日ずれていて全部駄目になるのじゃあないか?と急に不安になったからです。
再確認の結果、それ以外では特にブッキング上の問題もなくホッとしました。 万が一、最初の一日がずれていたら大変な目に遭っていたことを思うと、今でも怖くなります。
ちょっと、出発数日前の心境について書かせていただきます。
我々皆、子供時代を経験して大人になっているわけですが、(飛び級とでもいいましょうか? 時々、おっさんみたいな子供もいますが) 私は今でも、夏休みに突入する終業式前日の晩の興奮が忘れられません。明日から、40日学校に行かなくて済むと考えるともう嬉しくて嬉しくて。未だにあれに勝る興奮は私の人生にありませんね。
私は、ヨーロッパ出発の前日は、久々にこういう嬉しくて寝れないみたいな?興奮状態になるのかと期待していました。 ところが、心の老化は恐ろしいもので、新しい事を得る喜びよりも、築いたものが崩れないか心配する気持ちが遥かに上をいきます。
帰ってきたら家が泥棒にやられて無茶苦茶になっていないだろうか? ただ、直前になってというより、ほぼ出発当日頃になって、急に冒険心とでもいうべきか、かなり長い間忘れていた闘争心の様なものが沸き起こりました。 現地でフランス語を必死で習得し帰国したらペラペラになっていたり、通常のツアーでは絶対に行けない場所に行ったり、一年滞在しても中々此処まで到達できない通になったりという所でしょうか? 丁度極寒のエベレストでも極める心境で、これだけの犠牲を覚悟で行く以上、一切弱音を吐かず、後で後悔しないよう必死でまわってやろうと思うようになりました。 |
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