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【2024/05/04 21:33 】 |
犬や 猫 我々が考えているだけの ものでは ありません。

昔 日経の「私の履歴書」に 遠藤周作が執筆していました。

 

 彼は、著書、「沈黙」 の中で、キリシタン達が 踏み絵を踏まされ 拷問にかけられ 惨殺されていくのに、神は 沈黙を 守り続けている。

 

つまり、神の存在を否定するような小説を書きました。

神の存在を 問う と言いながら ちょっと 観点のずれた 小説です。

 

私の様に 「神が その存在を 世に現すと この世は 研修にならない。」 という スピリチュアル的 観点に立つと 「神はこの世に現れ無い。 というより 現れてはいけない。」という 結論に達するわけです。

 

 

ただ、彼は クリスチャンであるという 事実を踏まえると 納得できます。

地上天国 つまり 現世利益をもたらす 存在として 神をとらえると 自ずから ああいった 展開になるわけです。

 

 まあ その点は タッチーですから 敢えて 掘り下げません。

 

 本題に移らせていただきます。

 彼は、その「私の履歴書」 の中で、 ポチとか太郎とかいう 飼い犬のことを結構長々と書いていました。

 

 遠藤周作が悩んでいると いつも ポチが さびしいそうに来て、

「おい、もうくだらんことで悩むな」と言いに来るというのです。

 

 にゃーにゃー しか言わない猫。 わんわんしか 言わない犬。

 私は、

「そんなこと 分かって たまるか!!」と読んでいました。 オーストラリアに きてから 3匹の犬を 飼いました。猫も 4匹 飼いました。

 

 飼ううちに何となく不思議な生き物だなと思うようになりました。仮説をたて余程注意深く観察しないと気付きませんが。
仕事も順調で 気分が良い時は、犬も猫も ある程度可、人間と距離を置いて彼らなりに必要なプライベートの距離を保ちます。

 
 ところが、仕事で難題を抱えたり、交友関係でトラブルが発生し悩んでいると、いつの間にか ふと寄り添っています。
 

 つまり、犬も 猫 も 人間の感情を知った上で 我々と一緒に居る。ということです。

 

 最近、それを証明する人が居ることを知りました。

動物と会話するハイジ アメリカ人女性です。

 

これを ちょっと 見て下さい。








(犬や 猫について)

人間と 犬猫の かかわりは 数千年に 及びます。
何かの縁があって 人間は 彼らと 共生しており、可愛がり 助けてもらっています。

 頭の良い人間と いつも 一緒なのに 何故 犬も 猫も 言語を 持たないのか
何故 結構 下等なのか? という 疑問が 生まれます。

 実は、犬も 猫も 輪廻転生しません。
彼らが死ぬと 大きな 霊団の 中に 吸収されてしまい 我々のように 死んでも 個人として 研修を 積んでいく 宿命を背負っていません。

 勿論、人間に 訓練され 霊団自体の レベルは 多少は 向上するかも しれませんが
個々に 教育が蓄積されないない限り いくら 訓練され 天才犬と 言われても
死ぬと アベレージに 戻され 個体として 特化することは ありません。

 
 

 ただ、 一つ いえることは 人間より 多少は 劣る 生物に 魂を 宿していますが
幸せになりたい 気持ち。 幸せにしてもらったら 感謝する 気持ちは 我々同様
というより 我々以上に 持っています。


 これを 機会に 是非 動物は 大切にしてあげてください。

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