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【2024/05/05 03:11 】 |
クライストチャーチ 紀行 その1.
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NZ地震が 厄介だったのは 巨大地震の後に チマチマした余震が頻発した事です。
 
 2010年9月に マグニチュード 7が 来てから 2年間に渡り
約 2000回の余震が カンタベリーの人を悩ませました。
 
 丁度 オーストラリアで言うと いつ 洪水になってもおかしくないような 豪雨が延々続く状態です。
 
その中に余震としては 大きすぎる 5-6クラスが 何度もありました。
 
 早く修理しないと 生活が成り立ちません。
 
 でも、地震が一向 治まらないので また 大きな揺れがきて 振り出しに戻されるかもしれない という 不安が常に 人々の念頭にありました。
 
 2011年 2月22日に 2回目の大地震(M 6.1) があり 200名近い人命が奪われました。
 
 マグニチュードで 言うと 2010年 9月の方が 7.0 と 大きいのですが 2012年の方が 振幅内の移動速度が速く 大きな被害がでました。
 
 その直後に NZランドの ジョン キー(首相)が、
 
「母なる大自然よ。 貴方は我々から クライストチャーチを奪った。 
 でも 決して 我々NZランド人のスピリットまで 奪ってはいない。 我々は直ぐ立ち上がる。 何度、倒されても 必ず立ち上がってみせる」
 
みたいな 勇ましい スピーチをしました。
 
でも どうなのでしょう?。
 被災もしていない政治家が、 口先だけ勇ましいスピーチをするのは?
丁度 うつの人に「頑張れ」と 励ますようなものです。
 
 被災者達は、絶望しています。
死者も多数でて 遺族の 悲しみは ピークに達しています。
 投げやりな気持ち が 復興しなければ という やる気を上回っている時です。
 
 この スピーチは逆効果だろう。なんて 冷めた目で見ていたら、横で、普段 涙を流さない クールな娘が ゴボゴボ 喉から変な音を出しています。
 
てっきり 感極まって もらい泣きしていると 驚いていたら
単に紅茶を 気管につめて むせているだけでした。
 
(私と 地震の関わり)
 別に 私は 地震との係わりは ありませんが、彼是 30年 日本に 住んでいたのに、恐ろしい目に遭ったことがありません。
 
 震度 1~2 程度で、 「あれ もしかして? これは 地震??」
と、微かな揺れは 感じた事があります。 
 
目を蛍光灯から垂れ下がるスイッチの紐に移すと、微かに揺れています。
 
「あ! やっぱり 地震だ。」
程度の経験しか ありません。
 
 阪神淡路大震災も、東北大震災も 海外にいたので、被災しませんでした。
 
 おまけに、オーストラリアは 全く地震と無縁で 特にブリスベンは 有史以来、一度の地震も 観測されていません。
 
 
 
2013年 1月 丁度 震災から 2年たった頃に、たまたま 仕事があって クライストチャーチに いきました。
 
 自然災害回復力の強い 日本の景色を 重ねて、元気なチャーチの街を想定していました。
 
 実際 阪神大震災の一年後、知人に案内してもらい、神戸を訪れた経験があります。見た目 随分綺麗になっていて驚きました。
 
 店も普通に復旧して、皆 忙しそうに働いています。
 
 私を案内してくれた人は、
「此処に OOが ありました。 あそこには こういう ものがあった。 嘗ては 最高に 綺麗だったのに!!」と 頻りに嘆いていましたが、震災前のイメージが無い私にとっては、随分 すっきりした 感じがしました。
 
 
(クライストチャーチ 訪問)
 
 震災以降 飛行機便がメッキリ減って、何処の国からでもクライストチャーチに行くのに 大変な回り道を強いられます。
 
 今回、出張に同行した日本の人は、関空から来ましたが、オークランド乗り継ぎで、大変 時間がかかったと ぼやいてました。
 
 ところが、本当のトラブルは 帰国の際に起きました。
チャーチ オークランド 成田 関空 という 最悪の4迂回経路だったのですが、成田で積雪の為 足止めになり、空港で 凍える様な一晩を送ったそうです。結局丸2日かかって帰国しました。
 
 乗り継ぎが多いと 何処かでトラブルが発生します。
飛行機が落ちたり。
 
 私は、同情しながらも やはり、日頃の行いが 大切だなと
痛切に感じていました。
 
「当分チャーチは勘弁して下さい。」なんて言ってましたが、また 直ぐにでも 行かなければならない用事が 燻りだしています。
 
  一番近いブリスベンからは、流石に 3時間半でいける 共同運航の直行便が日に数本ありますが、昔に 比べるとメッキリ 減って ほとんど シドニー、メルボルン オークランドを 経由しなければなりません。
 
 それに便利な時間帯には 一本もありません。
 
 そんな 事情があって、クライストチャーチには 真夜中につきました。
 
 私は、自分では人相が悪い方では無いと思っていますが、いつも、入念な手荷物検査に回されます。
 
 私より 物騒な顔をした人でも、検疫がつかえてくると
エキスプレスレーンから ノーチェックで 出て行くのに、何が違うのかといつも思ってしまいます。
 

空港ロビーに 出たのが 午前1時頃でしたから 今更 夜の街を徘徊するわけにも行かず ホテルに直行しました。
 
 ブリスベンを出るときは、大変蒸し暑く 気温が35度近くありましたが、クライストチャーチは 真夏でも 志賀高原の様にひんやりしています。
 私は、荷物検査の際 薄手のジャンパーか ブレザーを 掴み出さなかった事を 後悔しました。
 
 いつも 到着当日と 帰国日だけは、SUDIMA ホテルを 取ります。
 
 スジマホテルは、変わった名前ですが、空港から徒歩でいける距離です。
 運悪く 送迎バスを逃しても 荷物を ガラガラおして いける所にあります。 
 
 一見 ショボそうですが、中は 結構 快適です。
CITY の グランドチャンセラーや プラザホテルが壊滅してしまいましたので、今の チャーチでは これが、一流と言わざるをえません。
 
 もっと 安くて綺麗な モーテルタイプのホテルは、チャーチには 沢山ありますが、私は、ロビーの風景が好きで、旅行にでると できるだけ 大きなホテルに泊まります。
 
 暇さえあれば ロビーで、ワインを啜りながら、出入りする人や車をぼんやり 眺めるのが好きです。
 
 (翌朝、CBD に行ってみました。)  次回に続く。
 
 
空港から CITYに向かって一直線に伸びる フェンデルトンST から カジノのある ビクトリアSt に 入ったのですが町の様子が一変しています。
 
あるべき所に 建物が ありません。
 
木造建築は 殆ど なくなっており カジノだけが無事で、震災前のまま建っていました。
もしかすると、数少ない チャーチのアトラクションですから復旧を急いだのかも しれません。 
 
 元々 この カジノ、 オークランド カジノの様に 人で潤っているのを見たことがありません。
 そこに、地震が来たわけですから、観光客や 語学生など 激減し 遊んでいる人は 殆どいませんでした。
 
 チャーチの街外れに、奇麗な小型ビルが沢山あって、IT、建築設計事務所、サージェリー 弁護士 会計士 など 主に知的サービスを提供する会社がテナントで入っています。
 丁度 大阪で言うと本町 淀屋橋。 ブリスベンで言うと
コロネーション ドライブの 様なところです。
 
 
ガラスの割れは激しかったですが ビルそのものは 昔のままで、一見 綺麗に立っていました。 ところが 玄関まで行くと、一様に立ち入り禁止ラベルが貼られ 中に 瓦礫が散乱しています。






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(塔自体 ショボイですが まわり ご覧になって下さい。 何も ないでしょ!) 
 
 
 
 
 街に入る 玄関口に 時計台があるのですが 周りに施してある
彫刻は 亀裂が入り 塔自体も 独りで立っているのが やっとの 様子です。
丁度、松葉杖をつくように、外も 中も 木枠が組まれ 痛々しく 支えられてます。
 
一番 ショックだったのは クラウンプラザ ホテルが 倒壊し瓦礫撤去も終わっていました。
 
 宿泊費が 高いので たった一度だけ それも 接待で 泊まったことがありました。
 ロビーのレイアウト 部屋の内装 申し分なく 一人で泊まるのは 勿体無く いつか家内と贅沢したいと思っていました。
 
 広い跡地に 安っぽい ビール用のプラスチック カートンが 平たく積まれ その上に 沢山 サボテン鉢が 無造作においてありました。
(何でしょう? あれ。未だ意味がわかりません。) 
 
クライストチャーチは、エイボン川の静かな流れと、公園を絶妙に取り入れたレイアウトが売りで、建物自体は立派なものは ありません。
唯一 クラウンプラザだけ立派で、NYに 持って行っても遜色が無い建物でした。
 


 CITY の中心が どうなっているか 大変気になり、車を
路駐し、都心に入ってみました。
 
正直 ビックリしました。
 
 ほんの一部だけ 解体、瓦礫撤去が終わったところもありましたが、殆どが (90%以上という 感じですね) 地震直後のままです。
 
丸で、地震を (街全体を博物館にして) 保存している有様で、それを 観光資源にしている感じです。
 
 崩れた建物も 殆ど 地震直後のまま 時間が止まっています。
数週間前に 地震がきた。と、言われても 誰も疑わないと思います。
 
 我々がいつも 利用していた グランドチャンセラーホテルは 跡形もなく取り壊され 唯一と言える高層建築が 姿を消していました。





(チャーチのシンボルが こうなったまま 時間が止まっています。悲しみしか ないです。)


  この街が クライストチャーチという名前が付けられた 由縁でもある
カシードラル(大聖堂) ですが、屋根の 半分が めくり取られ 内部が むき出しになっています。
 

ちょっと 脱線ですが。
 
 私が最初 この建物を 見たとき 随分しょぼい物が 観光の売りだな。と 失望しました。
  実際 ブリスベンの  セイント ステファン大聖堂 や セイント ジョン 聖堂 の 方が 贔屓目ではなく立派です。
 外見状は ブリスベン アルバート ストリート チャーチ程度では ないでしょうか?

 
ただ、中の装飾 展示品 祭壇などは 大変立派で、外見ではなく 中身を 充実させている印象を受けました。

 
 
 しばらく、街の様子をみていましたが、沢山の人が亡くなっている場所ですし、ニュージランド人が 一生懸命作ってきた街が ズタズタになっているのをみるのも 気分の良いものではありません。
 金網で 厳重に仕切られた街を 遠巻きに見ながら車をとめている方向に 歩き出しました。
 
 すると、 日本から合流した連れが
 
「来た道 帰っても 能がないじゃないですか。  やっぱり、街を真っ直ぐ抜けないと。」
 と 言いました。

 私は 全く 彼の 意図が読めませんでした。
街は金網で 仕切られ 殆ど 見学できない状況です。

わざわざ 車を止めている方向と 逆に 歩きましょう!!と 言っているのです。
 
 街をつっきても 必ず 行き止まりになり、 結局 後から 同じ道を戻らなければなりません。
  私は 疲れていたのと 少し 足が痛かったので 多少面倒に思いましたが 彼が ポイントレスなのは 今に始まった事ではありません。

 
 
「そう? 能がないか?」 と しぶしぶ 踵を返し 彼の行く方向に進路をかえました。 ただ、この 一言が 後になって 大変な 出会いを クリエイトし 彼は 単なる 思いつきでいったのではないと 思える事がおきました。

また、変な方向(スピリチュアリズム)に 話を持っていく と 言われかねませんが、スピリチュアリズムに 傾倒してくると、偶然 とか 奇遇 という 事が 実は アレンジメントで あることに 気付きます。

誰の? ということですが、霊界からの と言うことになります。

人に偶然出会う。自分でも 納得のいかない 不条理な 環境に 追い込まれる。
これらは、ある 学びの序章で、必ず 良かれ悪しかれ ストーリーが展開していきます。


 しばらく 歩くと、真っ黒い モービル型 Take away バンが とまっており その横で アジア人らしき女性が うずくまっています。
 
「何を しているのかな?」 と 覗き込むと 見覚えのある顔です。
 
「あ!!」
なんと ブリスベンで お世話になった 岡山(極めて 本名に近く 誰の事か 直ぐ分かるようにした 仮名です。)さんです。
 
 ご主人が 元々 キーウイーで クライストチャーチに引っ越されたのは
良く存じ上げていましたが、 まさか こんな所 こんな状況で 出会うとは。
 
私は この奇遇を 帰国後 日本食販売の メルマガで 「岡山さん。元気で、頑張っておられました。」と紹介しました。すると 何人か 彼女に連絡を取られたみたいです。
 
後日 ご本人から、

 「戦後の 焼け野原で 家族を抱えた女性が 大八車をおしながら 必死で 生きていたみたいに。 皆の、同情かって 可哀想がられています。」 
と、クレイムが 入りました。
 
 私は、メールは どう書いたか あまり 覚えていませんが、多少 面白く書いた記憶はあります。でも、大八車で行商みたいな 書き方はしなかったと おもいますが---。
 
 誤解を解く意味で 少し説明を加えますと、黒いバンは TAKE AWAY用設置式で、中は フライヤー、調理台 すべて 揃っており ちゃんと DPI (衛生局)の ライセンス付なのだそうです。
 
 それと 結構 売り上げも 出ていらっしゃるみたいで、惨めで 暗いイメージでは なかったです。
 
(最後に)
 今回 チャーチの 街を 見て 痛切に感じた事ですが、 あれだけ 激しい地震が 来る場所なのに、建物は オーストラリアの様に ブリックを 積んだだけです。

 丸で 積み木の家で あまりにも 防災に対する ガードが 低すぎると 常々思っていました。
 
 今回の地震で 初めて 屋根の建材 基礎工事の詳細まで 事細かに 政府の規制が入りましたが、よく 建国から 今まで 無事に 立っていた。と思います。
 
 ただ、今後 150年周期で、規模も クライストチャーチを 上回ると 予想される ウエリントン が 明日 地震が来ても おかしくない 時期にさしかかっています。

 同じ様な 事態が発生するかも と 考えると NZ これから ちょっと 大変です。
 
 
 
 終
 
もう直ぐ ヨーロッパ紀行を 連載で 書かせて 頂きます。
その時は もっと 書くことを厳選して、良い 紀行文に しようと 思います。

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【2013/07/06 08:22 】 | 紀行文(ワインを啜りながらお読み下さい。) | 有り難いご意見(0)
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