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【2024/05/04 17:51 】 |
第一章 吾が心のヨーロッパ (準備編)

どの辺りから ヨーロッパが登場し紀行文らしくなるの?と思われるかもしれませんが、余り人文、地理、歴史を書くつもりはありません。そういう事は、歴史家や学者の仕事で、私が書いても薄っぺらで深みがありません。

 

 勿論、歴史なくしてヨーロッパは語れませんから、適当に入れますが、軽妙洒脱を旨とする堤ブログですから肩が凝らないよう、即ち どうでもいいような事ばかり 面白おかしく書くつもりです。

 

 先ず、私の様な中高年が年々失せて行く好奇心の中で どの様にヨーロッパ旅行を決断したか? この点から書きたいと思います。

 

 

 私は元々旅好きでした。

旅が好きというのは、(私の場合に限ってですが) 一人物思いに耽ったり、テクテク歩くのが好きから来ています。勿論、歩くのが苦手でもドライブが好きなら旅はできますが、旅の醍醐味は、やはり、街の練り歩きにあり、今回も靴が磨り減るくらい歩きました。

 

 ただ、旅が好きでした。とわざわざ過去形で書いたのは、今は?というと ちょっと微妙だからです。


 ご存知の通り 私は、銀行マンから商社マンに転職しています。

 

 銀行は、出張の無い世界で、血気盛んな時期には つまらない業種です。

何故 出張が無いのかというと、丁度 国境の様に銀行各支店には縄張りがあって、他の店の地域に侵入できない決まりになっています。

 

 たまたま他の地域の仕事が舞い込むと、業務連携とかいって、

「お宅の領海の方が 私の店に来てまっせ!! 連携させていただきます。」 と 一番最寄の店に顧客を戻さないといけません。

 

 私は 都銀に5年勤務しましたが、研修で天満に行った以外出張した記憶がありません。

天満というと大阪以外の方には馴染みがありませんが 私が勤務していた淀屋橋の本店から 歩いていける距離で出張なんて呼べるものではありません。

 

 そういう旅の無い銀行員生活が基礎にあったので、商社にかわって数年は夢の様でした。

回りが 出張出張で ザワザワしています。

 







横に座っているおっさんが、大きな荷物を抱えてきたので、

「岡道さん 何処行くんですか?」なんて聞くと、

「ああ、NY に2週間行ってきます。」

 

「ええ~~! 羨ましいですね。連れて行ってください。」

「今年 3回目ですよ。 もう うんざりですヨ。代ってください」 なんて贅沢いってます。

 
 すかさず 後方に座っていた支店長から、

「岡道。 五番街の スズランって店あっただろ。 貴子ちゃん 元気か見てきて!!」 なんて声が飛びます。

「貴子 随分前に 辞めたじゃないですか。」
(私は 聞いてないふりしていますが、心の中で、なんだ 二人とも貴子 知ってるんかい!! と 思っています。)

 

勿論、スズランは いうまでもなく日本のワーホリを集めている キャバクラです。

まあ 昼間は真面目な顔していますが、夜何をしているのか分らないのが、商社マンです。

  




 私の悪夢は入社 数ヶ月目からもう 始まりました。

というのは、他の石炭部や 物資部の連中はチームで動いています。

「前回は 俺がいったから こんどは お前が行け」

「え? いつも そう言われますけど私ばかりですよ。」 みたいなやり取りをしながらも 出張分担できます。

私は、畜産と食品に所属していましたが (後に物資、資源開発も引き受ける羽目になりました。)

私一人です。

 

 どんな出張生活をしていたかご紹介しますと。

QLD州の北、エメラルドという町があります。 そこから 更に 3-4時間内陸に入ると、ミドルマウントという ど田舎があります。「ハエってこんな大きな音で飛ぶの? 」と 驚くほど静かなところです。そこで 丸々一ヶ月生活した事があります。

 

 ある種装置の備え付けの監視でしたが、最初、じっと見学していました。そのうち気が狂うとおもうようになり、もう現場の人に混じって!というより、一番必死で土方仕事をしていました。早く帰る為です。

 

 他にも長い出張は色々ありましたが、シドニーの担当者が忌引きで一時帰国してしまいピンチヒッターで数週間行った事もありました。その時は楽しかったですね。ホテル暮らしで、シドニーは大都会ですから。

 

 長さだけではなく、出張がオーバーラップしていることも頻繁にありました。

 QLD州北部に出張していて、オフィスに電話すると、「マウント ギャンビアに直ぐ行ってくれ。」 と 言われたことがあります。

 

「え。 マウント ギャンビア? 何、それ??」 と、 地図で調べると、何と 南オーストラリア州で アデレイドの近くです。(材木積み出しを見に行け という仕事でした。) 私は亜熱帯のQLD州北部で

5月くらいでしたが 半袖 綿パンという イデタチです。

マウント ギャンビアに着いた途端 皆 分厚いコートを着ており、震え上がったのを覚えています。

 

 2-3年は 結構 そんな生活を楽しんでいましたが、段々同じ場所への出張が増えたりして退屈になってきます。それに、余り長くなるとホームシックにかかります。

「ああ、 家族と ゆっくりしたい。」

「娘やペットと 遊びたい。」 という感じです。

 

 

 別に商社マン時代の愚痴をたらたら?羅列しているのではありません。

ヨーロッパに行く前に旅をどう捉えていたか ちょっと 触れさせて頂きたいのです。

 

 

 ヨーロッパへ行こうと 家内との間で 話が持ち上がったのは 彼是 7年くらい前だったと思います。

その間、ビデオカメラを買ったり デジカメを買いなおしたり 準備ばかりしていました。

ヨーロッパのガイドブックも、殆ど 東欧 北欧 西欧 と、揃えました。要するに行きたいという気持ちが高まるよう環境を整えていたのです。

 

どうしようもなく高まって行く家内の意識と裏腹に 私はどんどん醒めていきました。

 

先ず、ノイシュバンシュタイン城やモンサンミッシェルなど 見たい所を全て網羅すると一ヶ月くらいかかります。

 これは、私の様な個人事業者にはかなりきついです。「ああ~ゆっくり静養した。」と 帰ってきたら 

誰からも相手にされなくなります。

 

  それから、ヨーロッパ滞在中も常に 家が気になります。

いくら現地でスリに遭わないよう、物を落さないよう注意しても、家が泥棒に荒らされ無茶苦茶にされたのでは意味がありません。

 

 それら、しがらみが色々あって、中々踏み切れずグズグズしていました。

でも、2014年度の上半期の利益の状態から、今年 万が一いけなかったら 恐らく 65歳の引退まで無理だと思うようになりました。
 と、いいますのは、仕事の内容が長期安定とはとても考えられないものが、屋台骨になってきており、いわゆるフロック。まぐれ当たりのビジネスが中心になりつつありました。こういう状態になると、儲かっている時に行っておかないと仕事自体が崩れだしたら何時までも行けなくなるからです。


万難を乗り越え 今年、行こうと思うようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

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【2014/11/11 07:40 】 | 紀行文(ワインを啜りながらお読み下さい。) | 有り難いご意見(0)
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