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科学者が一斉に超常現象に向かえば 霊界、UFO, UMA、超能力等 謎が一気に解明されるとよく言われます。
全く間違った考えです。
規模の差こそあれ、実際 中国 ソ連 イギリス アメリカ等 各国に 超常現象解明に費用を割く研究機関は多数あります。
日本にも 財団法人 日本心霊科学協会があり、大学教授、医師、弁護士などそうそうたる面々が名を連ねています。
未だ 分からないことだらけです。
何故か?と言うと、現象を分析し こうなっているのではないか? と邪推するのは簡単です。 と言うか 想像は 勝手です。 ところが、原理になる理論を打ち立て 立証実験が今の科学水準では不可能です。 第一、超常現象 とか 非科学と 言われる以上 科学で、定義できない事が前提になっています。
スピリチュアルの原点は、あの世の解明です。 あちらにいってしまったら 体験談を聞けませんから、仮死状態にし呼び戻さないといけません。
あの世に人はおくれます。(殺せば良いだけです。) ところが 肉体が痛まないよう保存し、一定時間が経てば魂を戻し蘇生させなければなりません。 残念ながら それを実現させる為には、気の遠くなる医学の進歩が必要です。
物質、反物質を自在変化する。
とはいえ、指を加えて見ていたのでは ブログになりませんから、今 解明されつつある様々な理論を展開し、 宇宙人はこうだ。と言う私の考えを書かせて頂きます。 いきなり、私の考えを述べると、間違いなく 信じていただけません。 少しづつ 何故そう考えるか にじり寄りたいと思います。
(物質と 反物質)
臨死状態になっても、(どういう秩序があるのか?) あの世を見る人と、見ない人に分かれます。 お役目の違い。と分析をする人もいますが、私の父に関していえば、自身の体験を講演するわけでも ブログにするわけでもなく、極一部の身内しかしらない事でした。
彼の場合、一番 オーソドックスなパターンを経験しています。 先ずトンネルを通過し、花畑を歩き三途の川を 目撃しています。
川向こうに 門があり、そこに羽衣を着た天女が立っていたそうです。
したがって、目口耳鼻など 五感センサーがありません。 つまり、ヘレンケラー状態でなければなりません。
ところが、花が咲き 水が流れ 人に出会い 話す。という体験をして此方に帰ってきます。あの世で公園のベンチに腰掛けたら すり抜けて マントルまで落ちてしまうということも起こりません。
つまり、物質が存在し、知覚できるわけです。
私は、以前から唱えている様に、此の世の物質は 理論武装された幻覚で実際には存在しないと考えています。 今もその考えは変わっていません。
私は、此の世もあの世も(あの世と一言で言っても実は沢山あるみたいですが)一種の波長の様なものだと考えます。
つまり、3次元にすむ人は、チャンネルを3 に合わせています。 4次元 5次元は それぞれ 4 と 5 に セットしているのです。
少年の腕を掴んだ宇宙人は、掴んだ瞬間は3チャンネル、正体を消す時は瞬時で、4か5に 変えているわけです。
勿論 次元のチャンネルを合わせると言って、電波の周波数のように簡単にはいきませんが、異次元空間は確かに存在し、彼らはそこを行き来していることだけは間違いありません。
(膜宇宙論と異次元)
アメリカ ハーバード大学に リサ ランドールという 理論物理学者がいます。 彼女の天才振りは 完全に度が過ぎています。
NYの名門校を主席卒業 ハーバード大学卒業 39歳でハーバード大学教授就任。
現在 ハーバード マサチューセッツ工科大 プリンストン大の 永年在職権を 持ちます。
ケンブリッジ大からも教授招待がありました。(4歳下の妹も情報科学の教授で頭良いみたいです。)
二物与えずと言いますが、驚異的な頭脳をもちながら 中々の美人です。 ちょっとシャイで 喋るとなんとも言えない品があります。
色々調べている時に、彼女の 膜宇宙論を 知りました。 難解な理論ですが、私は、胸騒ぎがしました。 私の見たものが 説明される可能性が有り、是非正しい理論であって欲しいと思います。
後で 解説させて頂きます。 先ず このユーチューブ (我慢して) 最後まで見てください。
膜宇宙論によると、 --- 我々の宇宙は膜によって仕切られている。 そして 他にも 沢山の 3次元宇宙が存在するが、お互い 5次元の壁で囲まれており 直ぐ 近くにあるのに 見えない仕組みになっている。 と 主張しています。
次にホーキング博士の 膜宇宙論の 公演を 見てください。
良く似た事を言っていますが、多少 リサ ランドール博士と 違っています。 膜と膜を 仕切る 空間は 11次元だと 言っています。(実は 色々な 異論があり 20次元以上の 空間が 存在すると 唱える学者もいます。)
それから ホーキング博士は、シャドー ワールド (COPY WORLD) が 存在するとも言っています。 これをスピリチュアル的に言うと 幽界のことなのかも 知れないと 思っています。
公演の中では ランドール博士と 違って 他の3次元宇宙が 沢山あるという言い方は していませんが、複数 存在する 可能性には 触れています。
もし 相当数の 3次元宇宙が 存在しそれらが 20次元以上の壁で 隔絶されていて、 おまけに 各々の宇宙には シャドー ワールドが存在する。 という 仕組みになっていると 現在の 霊能者が 言っていることと 符号し、面白いですね。
(つづく) |
どの辺りから ヨーロッパが登場し紀行文らしくなるの?と思われるかもしれませんが、余り人文、地理、歴史を書くつもりはありません。そういう事は、歴史家や学者の仕事で、私が書いても薄っぺらで深みがありません。
勿論、歴史なくしてヨーロッパは語れませんから、適当に入れますが、軽妙洒脱を旨とする堤ブログですから肩が凝らないよう、即ち どうでもいいような事ばかり 面白おかしく書くつもりです。
先ず、私の様な中高年が年々失せて行く好奇心の中で どの様にヨーロッパ旅行を決断したか? この点から書きたいと思います。
私は元々旅好きでした。 旅が好きというのは、(私の場合に限ってですが) 一人物思いに耽ったり、テクテク歩くのが好きから来ています。勿論、歩くのが苦手でもドライブが好きなら旅はできますが、旅の醍醐味は、やはり、街の練り歩きにあり、今回も靴が磨り減るくらい歩きました。
ただ、旅が好きでした。とわざわざ過去形で書いたのは、今は?というと ちょっと微妙だからです。
銀行は、出張の無い世界で、血気盛んな時期には つまらない業種です。 何故 出張が無いのかというと、丁度 国境の様に銀行各支店には縄張りがあって、他の店の地域に侵入できない決まりになっています。
たまたま他の地域の仕事が舞い込むと、業務連携とかいって、 「お宅の領海の方が 私の店に来てまっせ!! 連携させていただきます。」 と 一番最寄の店に顧客を戻さないといけません。
私は 都銀に5年勤務しましたが、研修で天満に行った以外出張した記憶がありません。 天満というと大阪以外の方には馴染みがありませんが 私が勤務していた淀屋橋の本店から 歩いていける距離で出張なんて呼べるものではありません。
そういう旅の無い銀行員生活が基礎にあったので、商社にかわって数年は夢の様でした。 回りが 出張出張で ザワザワしています。
「岡道さん 何処行くんですか?」なんて聞くと、 「ああ、NY に2週間行ってきます。」
「ええ~~! 羨ましいですね。連れて行ってください。」 「今年 3回目ですよ。 もう うんざりですヨ。代ってください」 なんて贅沢いってます。 「岡道。 五番街の スズランって店あっただろ。 貴子ちゃん 元気か見てきて!!」 なんて声が飛びます。 「貴子 随分前に 辞めたじゃないですか。」
勿論、スズランは いうまでもなく日本のワーホリを集めている キャバクラです。 まあ 昼間は真面目な顔していますが、夜何をしているのか分らないのが、商社マンです。
というのは、他の石炭部や 物資部の連中はチームで動いています。 「前回は 俺がいったから こんどは お前が行け」 「え? いつも そう言われますけど私ばかりですよ。」 みたいなやり取りをしながらも 出張分担できます。 私は、畜産と食品に所属していましたが (後に物資、資源開発も引き受ける羽目になりました。) 私一人です。
どんな出張生活をしていたかご紹介しますと。 QLD州の北、エメラルドという町があります。 そこから 更に 3-4時間内陸に入ると、ミドルマウントという ど田舎があります。「ハエってこんな大きな音で飛ぶの? 」と 驚くほど静かなところです。そこで 丸々一ヶ月生活した事があります。
ある種装置の備え付けの監視でしたが、最初、じっと見学していました。そのうち気が狂うとおもうようになり、もう現場の人に混じって!というより、一番必死で土方仕事をしていました。早く帰る為です。
他にも長い出張は色々ありましたが、シドニーの担当者が忌引きで一時帰国してしまいピンチヒッターで数週間行った事もありました。その時は楽しかったですね。ホテル暮らしで、シドニーは大都会ですから。
長さだけではなく、出張がオーバーラップしていることも頻繁にありました。 QLD州北部に出張していて、オフィスに電話すると、「マウント ギャンビアに直ぐ行ってくれ。」 と 言われたことがあります。
「え。 マウント ギャンビア? 何、それ??」 と、 地図で調べると、何と 南オーストラリア州で アデレイドの近くです。(材木積み出しを見に行け という仕事でした。) 私は亜熱帯のQLD州北部で 5月くらいでしたが 半袖 綿パンという イデタチです。 マウント ギャンビアに着いた途端 皆 分厚いコートを着ており、震え上がったのを覚えています。
2-3年は 結構 そんな生活を楽しんでいましたが、段々同じ場所への出張が増えたりして退屈になってきます。それに、余り長くなるとホームシックにかかります。 「ああ、 家族と ゆっくりしたい。」 「娘やペットと 遊びたい。」 という感じです。
別に商社マン時代の愚痴をたらたら?羅列しているのではありません。 ヨーロッパに行く前に旅をどう捉えていたか ちょっと 触れさせて頂きたいのです。
ヨーロッパへ行こうと 家内との間で 話が持ち上がったのは 彼是 7年くらい前だったと思います。 その間、ビデオカメラを買ったり デジカメを買いなおしたり 準備ばかりしていました。 ヨーロッパのガイドブックも、殆ど 東欧 北欧 西欧 と、揃えました。要するに行きたいという気持ちが高まるよう環境を整えていたのです。
どうしようもなく高まって行く家内の意識と裏腹に 私はどんどん醒めていきました。
先ず、ノイシュバンシュタイン城やモンサンミッシェルなど 見たい所を全て網羅すると一ヶ月くらいかかります。 これは、私の様な個人事業者にはかなりきついです。「ああ~ゆっくり静養した。」と 帰ってきたら 誰からも相手にされなくなります。
それから、ヨーロッパ滞在中も常に 家が気になります。 いくら現地でスリに遭わないよう、物を落さないよう注意しても、家が泥棒に荒らされ無茶苦茶にされたのでは意味がありません。
それら、しがらみが色々あって、中々踏み切れずグズグズしていました。 でも、2014年度の上半期の利益の状態から、今年 万が一いけなかったら 恐らく 65歳の引退まで無理だと思うようになりました。 万難を乗り越え 今年、行こうと思うようになりました。
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普通日本で旅行というと長くても9泊10日です。 ブリスベン空港発 アムステルダム 着 (同日) 午後 8時 到着後 アムステルダムにて 2泊
スキポール空港から国鉄で20分 10ユーロ 3番線。中央駅からホテルまで 徒歩10分。
9月9日 (火曜日) ザーンセ スカンス観光 DAY2
①アムステルダム中央駅からアルクマール行きで各駅停車で約15分 Koog Zaandijk(コークゥ ザーンダイク)駅下車徒歩15分
②アムステルダム中央駅Amsterdam Centraal Treinstation から徒歩3分の CS Oosterdokskade Amsterdam から近郊バス91番Zaandam方向行きで所要約35分 Zaanse Schans Zaandam 下車すぐ目の前です。
朝 HEMAにて寿司購入 ザンセスカンスの濡れたベンチで食べる。寿司の味がしないものもあった。
9月10日 (水曜日) DAY 3 早朝 ベルギー ブリュッセルに。 ホテルチェックイン 市内観光。グランパラス 小便小僧 王宮 など
(交通機関) THALYS 9328 9:18 アムステルダム CENTRAA駅 11:08 Brussell MIDI 駅 着 ミデイ着後 セントラルまで移動 セントラルから徒歩10分。(途中 チャペル駅があるのみ) 車窓進行方向右に巨大王宮が見える。 MIDIでトイレ 早速50cユーロ取られる。
ブルージュ ゲント 終日観光 ブリュッセル泊
朝食ブルージュ駅にてバゲット サンド購入。 昼はゲントにて、ローカル料理。
(交通機関) ブリュッセルから 国鉄で 50分 行きはブルージュ直通 帰りは ゲントに立ち寄れるチケットにする。 日程がきついので日帰りツアー。
9月12日 (金曜日) DAY5 ロンドンへ 市内観光 ウエストミンスター寺院 大英博物館 ロンドンアイ ロンドン泊
(宿泊)
パンクラス駅から メトロで ANGEL 駅へ 一駅 徒歩 また ホテルから パンクラスまで 歩いて 10分
(交通機関) Eurostar 9117 Direct - 2h05m
9月13日 (土曜日)DAY6 引き続き ロンドン市内観光 ロンドンタワーブリッジ ロンドン塔 バッキンガム宮殿 オックスフォードサーカス ロンドン泊
Point of interest 3 Savile Row, London, UK (ビートルズ LET IT BE 会散前のROOF TOP CONCERT)
9月 14日 (日曜日) パリへ 到着後市内観光 モンマルトル
キリアド パリ 10 - ガル デュ ノール 37 rue Saint Quentin 10th arr. - République Paris, 75010 ナポレオンⅢ世広場から サンカンタン通りを探す。駅の前
交通機関 Euro star 9029 coach 3 13:31 London St Pancras 16:47 Paris Nord
昼 駅構内のランチ弁当店にて種々パン サラダを購入。
9月 15日 (月曜日)
モンサンミッシェル 観光 パリ泊
▲アクセス NORDから 朝5時29分のメトロにて モンパルナスに行く。 モンパルナスからTGVでレンヌRENNESまで約2時間 レンヌ駅北口(SORTIE NORDと表示)より約50メートルのところにあるバスターミナル(GARE ROUTIERE)からモン・サン・ミッシェルまで直通バスが運行。バスに乗ると左側に座る事。(ミッシェルが見える)
9月16日 (火曜日) ベルサイユ宮殿 観光 パリ泊
交通機関
9月17日 (水曜) 終日パリ市内観光。 ルーブル美術館 (チケットは GARE DE NODE 観光局にて 購入) コンコルド広場 シャンゼリゼ通り 凱旋門 エッフェル塔 見学。
9月 18日 (木曜) ドイツ ミュンヘンに移動 即 市内観光。 終着駅はPASSING CENTRAL まで 移動 (数駅)
(宿泊ホテル)
交通手段 TGV
9月19日 (金曜日) ノイシュバンシュタイン城見学 午前8時10分 中央駅前に集合。ガイド NANCY
夜遅く帰ホテル。
9月20日 朝 フィレンツへ フィレンツ泊
交通手段 09:38 MUENCHEN HBF 20/09/2014 17:10 FIRENZE S M N 2 travellers AUD 332 Eurocitybrenner 85 / Frecciarossa 9573 1 connection - 7h32m SMNは サンタマリア ノベラ駅 改札を出て左折 徒歩10分に送迎バス駐車場あり。車でホテルまで13分。
9月 21日 ピサの斜塔 見学 予定 (中止) 日曜の為 列車キャンセル 変りに フィレンツエ観光。 フィレンツエ 泊
見学場所。 ドーモ 天国の扉 昼、CAFEでピザ 2回食す。ピザハット以下だった。ガッカリ。
9月22日 フィレンツから ローマに 早朝移動。(午前8時 ホテルから 送迎バスあり 8時40分到着) ローマ市内観光 トレビの泉 スペイン階段。
HOTEL GIOBERTI Via Gioberti, 20 - 00185 Roma Reservation Dep Tel. +39 06 83 39 49 71 Reception Tel +39 06 44 40 625 Fax +39 06 44 40 622 http://www.hotelgioberti.it - marzia.f@hotelgioberti.it
(交通機関) 所用時間
9月 23日(火曜日) バチカン市国 システイーナ観光 サンタンジェロ城 コロッセオ観光。 チケットーーー午前9時30分 2KISIQH70000002RQ 2People
9月 24日 (水曜日) ローマ 市内観光 (ローマPASS 48時間券を 買う --- 中央駅26番線に窓口あり) ホロロマーノ 真実の口(サンタマリア教会) カラカラ帝浴場後
ローマ ジオベルテイ泊
9月25日 (木曜日) 午後 アムステルダムへ 飛行機で 空港まで 直通バスあるのだが、その日は運休。仕方なく電車でCENTRAA へ。 4ドル・PP 約1時間のドライブ。 アムステルダム 5つ星 ホテルオークラ SWEET ROOM 宿泊 晩 ミシェラン 2つ星 レストランで食事。(400ドル)
9月26日 (金曜日) 土産とDUTY FREE 買い物。 ホテル オオクラ ホテルから空港まで移動はタクシー。(ベンツE220)
夜 21時40分発 アムステルダム ドバイ行き
9月28日 午前ブリスベン到着。
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日本を代表する建築家、黒川紀章。
心斎橋のソニータワーも彼の設計ですが、完成当時、思わず、「でかした。黒川!!」と、叫んでしまいました。 当時、ソニー=世界最高ブランドというイメージが定着しており、その威容を誇示する上でも最高の立地、最高のデザインでした。
彼は、生前、自分が書いた設計図の中を足が棒になるくらい歩く。と言っていました。 つまり、何処かの空き地に行って、自分がデザインした想像の建物の中を歩き回りシュミレーションするのです。 「此処に非常口をつけたほうが良い。」 「もうすこしこの辺り、スペースを増やそうか。」という感じだと思います。
私は、その黒川発言があったからかもしれませんが、自分の旅程表ができてから、GOOGLE MAPを駆使し、毎晩毎晩、いく先々の街を歩きました。 大変上手くできており、もう、現地に行かなくてもいいか。とさえ思えました。
ただ、何処へでも入っていけるわけではないのと、歩いていると体が勝手に回転して方向を失います。時々変な場所にトランスし何処を歩いているのか分らなくななることもあります。実際、帰国してからの方が多少ましに歩けるかな?と、懐かしさにかまけて歩き直しましたが結果は同じでした。
それに、私は奥へ奥へ入っていくゲームは船酔い状態になり、長くすると気分が悪くなります。最後はいつも青い顔をしながら、吐きそうになりながら歩いていました。
歩きながら宿泊するホテル、駅までの道順、訪れる名所の位置確認など色々自分なりにポイント設定し、スケジュールやホテル、高速鉄道などのアレンジに手抜かりはないか?美術館、博物館で前売りチケットの必要なものも手当てしているか?チェックしていきました。
実際、これ以上の準備はあり得ないというところまできていました。
ところが、そんな時、ドキンとする出来事が起きました。
私達の出発は9月8日月曜日 午前2時のカンタス便でした。 それをどう勘違いしたか、私も家内も月曜日の午後6時ごろ、犬と貴重品を北に住む娘のところに預け、夜11時ごろ早めに空港に行こう。と計画していたのです。 留守中家の面倒を見ていただく友達にも、翌日火曜日から来ていただく約束をしていました。
出発3日前になって、家内が急に、 「出発日なんだけど、月曜午前2時出発ということは、 私達、日曜日出発でないとまずくない?」 と言い出したのです。私は、まだ、出発してもいないのにドキンとしました。 全くその通りです。午前2時の飛行機に乗るのに月曜の夜空港に行ったのでは火曜日の飛行機になってしまいます。
大事に至る前に気付きましたし、単なるお粗末な勘違いのお話ですが、私は頭に杭を打たれたようなショックをうけました。 というのは、こんなボーンヘッドで、いままで、列車やヨーロッパを移動する飛行機など交通手段、ホテル、入場券など等、大枚はたいてブッキングしてきましたが、もしかすると時差や日程を間違えて一日ずれていて全部駄目になるのじゃあないか?と急に不安になったからです。
再確認の結果、それ以外では特にブッキング上の問題もなくホッとしました。 万が一、最初の一日がずれていたら大変な目に遭っていたことを思うと、今でも怖くなります。
ちょっと、出発数日前の心境について書かせていただきます。
我々皆、子供時代を経験して大人になっているわけですが、(飛び級とでもいいましょうか? 時々、おっさんみたいな子供もいますが) 私は今でも、夏休みに突入する終業式前日の晩の興奮が忘れられません。明日から、40日学校に行かなくて済むと考えるともう嬉しくて嬉しくて。未だにあれに勝る興奮は私の人生にありませんね。
私は、ヨーロッパ出発の前日は、久々にこういう嬉しくて寝れないみたいな?興奮状態になるのかと期待していました。 ところが、心の老化は恐ろしいもので、新しい事を得る喜びよりも、築いたものが崩れないか心配する気持ちが遥かに上をいきます。
帰ってきたら家が泥棒にやられて無茶苦茶になっていないだろうか? ただ、直前になってというより、ほぼ出発当日頃になって、急に冒険心とでもいうべきか、かなり長い間忘れていた闘争心の様なものが沸き起こりました。 現地でフランス語を必死で習得し帰国したらペラペラになっていたり、通常のツアーでは絶対に行けない場所に行ったり、一年滞在しても中々此処まで到達できない通になったりという所でしょうか? 丁度極寒のエベレストでも極める心境で、これだけの犠牲を覚悟で行く以上、一切弱音を吐かず、後で後悔しないよう必死でまわってやろうと思うようになりました。 |