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【2024/05/18 14:45 】 |
連載第2弾 私の霊体験 第11話 (唯物論編)
続けて 3,4,5 の お話もします。
 
 わたしの場合。 唯心論に 転向したのが、50過ぎでしたから、唯物論的考え方は 良くわかります。
(寧ろ 唯心論より わかります。)
 
世の中を 唯物的に 捉えると、(皆が皆とは 言いませんが) 人生が 享楽的なものに なります。
 
 
 
 
 つまり 鶏は 所詮 玉子から 玉子への ツナギです。
 
 いくら立派に鳴いても、 いくら立派な姿をしていても (闘鶏とかで)、 やがて 土に返り 
肥料となります。 
 
結果 次の玉子が 残る だけ です。
 
人間も同じで、いくら聖人君主と崇められ  立派に生きても、子供を育て、次の代に 繋ぐだけ。 と、考えると、キチンと生きるより (チキンではなく) 楽しまにゃぁ 損!! という 事になります。
 
 「私は 唯物論者だが 丹精に 生きている」 という人もいます。 
でも、それは 何処かに、 霊魂 や 霊界 を恐れる 潜在意識が働いており、完全な 唯物論者では ありません。
 
 強いて言えば、多少なりとも 2元論が 被っています。 
「霊界や 最後の審判は 無い方が良い。 でも 万が一 あったら まずい!!」 
という 立場ですね。
 
この ブログを 見ておられる方は 90%が このタイプではないでしょうか。 
オーストラリア人は どうかと いいますと、 意外と 唯心論者で 橋を渡っている人が多いのに、驚かされます。
 
 完全 唯物論者なら、正月 寒くて面倒なのに 初詣に でかけたりしません。
また、政治家の靖国参拝で あれだけ熱くなったりしません。 
参拝するもなにも、霊魂事態存在しないと 思っているからです。
 
 私も 本音を申し上げると この世で完結して 死んで終わり。 に してほしいです。 
その方が 楽です。
 
男性イラスト 30歳代指を指すビジネススーツの男性
 チョッと 此処で、また 銀行員時代の逸話ですが。
 
 私の銀行には エリートの登竜門と言われる 融資研修というのがありました。
毎年 たった 5人程度しか 選ばれない狭き門です。 それも、一旦 働かせてみて 数年間の業績で査定しますから、
将来の幹部候補になります。
 
会社にとって 給料払って 一年間 勉強させるわけですから、何千万円もの出費になります。
人選も 慎重の上に慎重をきして行われ、相応しい人たちが 選ばれていました。
 
 銀行は人材の宝庫で、信じられない 程の 頭の持ち主が いました。
 
 東大応援団 団長 とか 京大野球部 部長 とか 文武両道のツワモノです。
勉強もしないのに 賢い人がいることを はじめて知りました。
 
 私は 退職する最後の一年 玉村という 男と 同じ部屋でした。
(寮は 6畳一間に 大男 2人 詰め込まれました。) 彼は 品行が悪い事で有名でした。 
ただ、あっさりしていて、私と気があい、私の実家によんだりもしました。
 
実に 不思議な男で、全然 勉強しません。一年一緒でしたが 勉強しているのを 見た事がありません。
全然 勉強しないのに 京都大学法学部を 卒業しています。
 
 いつも、サイケデリックな音楽を、ガンガン ヘッドフォーンで聴いていました。
ACID JAZZ と 言うのですか? タンゴ、ジャズ、ラップを 合わせて 三味線で 演奏する感じです。
淡谷のり子が 聞いたら 激怒する 音楽です。
私も 大概 変な曲を 聞きますが、 彼には ついていけませんでした。
 
 それが、偶に、 
「明日 試験ですわ。今日は 勉強します。」 
なんて 珍しいこと 言い出すと、 なんと ヘッドフォンつけて 例のわけの分からない雑音を ガンガン聞きながら 勉強します。
(一番 効率が悪い 「ながら勉強」 で 耳から ジージー 音が漏れています。)
 
 それも、30-40分程度で、「もう 分かりませんわ。 辞めます」 なんて さっさと 風呂桶かついで
でていきます。
 
 風呂で何しているか しりませんが、中々帰ってきません。
やっと 帰ってきたら、 「ロビーで テレビ見ながら ビール飲んでました。」 なんて 大事な試験があるのに 真っ赤になって
います。
 
 「大切な試験前に、こんな 勉強振りで 良いの??」 と 多少 心配していたら いつも 一発合格で それも 飛びぬけていました。
そういう タイプ 彼以外に もう一人 いました。(完全に アルチュウでしたけど。 笑)
 
私は、その時、本当に 地頭の 良い人間が 存在する事を 知りました。
 
 研修に 話を戻しますが、 勉強しなくても 十分えらい人が 一年間 勉強に打ち込むわけです。
 
 法務を例にとると、外為管理法、債権法 遺産相続法 等 メインのものから 手形小切手法など マイナーなものまで 完全に 諳んじるほど 習得してきます。
 
 財務分析 簿記 なんて 本質さえ掴んでしまえば どんな会社にも 簡単に汎用できます。
殆ど 勉強する必要が無いレベル に 直ぐ到達します。
 
 銀行を辞める最後の年に、 大阪支店で 研修帰りの人と 机を並べて仕事を しましたが、全ての知識で 突き抜けていました。 何を聞いても知っていました。
 
サラリーマンになってから 勉強に打ち込むと これほど違いが出るのかと 感心させられました。
 
 
 
では 唯物論 どう 損するか? という 説明の 中で 3,4,5の 質問に お答えしていきます。

 
「火事と喧嘩は大きいほどおもろい 」 なんて言います。
苦労の無い人は、悲劇を目の当たりにして、 頭で認識しても、 被害者の痛みまで、分かち合えません。
 
災害が 大きくなければ 面白ない なんて 心。 彼の世まで 持って帰ってくるな という事を 教えないといけません。
要するに 家を焼いて 苦しみを 経験させる 方法を使います。
 
 唯心論になると、丁度、問題集を 答えを見ながら とくように、人生の答を 先に見てしまう事になります。
つまり ねたバレ 状態です。
 
 この世は、研修シュミレーションです。
 
人間に疑似体験させ、そこで どう考え 行動したか。 を みます。
最後に査定があり (2回あります)振り分ける。  仕組みというか あの世の秩序が あります。
 
 デイズニー見物や 旅行気分で 気晴らしに来るか?--- (唯物論)  研修でくるか---(唯心論) で、 魂の成長度合いが 違います。
 
 一例を あげますと、QLD州では 25000人が FLOOD 被害に遭いました。

 私も、大きな被害に遭い 正直、復興まで、時間がかかる 仕事もできない、 ヘドロの悪臭立ち込める中で 最悪 一年 我慢しなければ ならない。 「くそったれ!!」 でした。
 
「神 仏 何処に 居る??」 とか 「 どうして こんな目に 遭わすんや!!」 
と、言うのは つまり 唯物的思考です。
 
 この世で 終わるという 考えに立つと 神仏は 現世利益 の為のものです。
戦争 貧困 疫病 不慮の死 離婚 すべての不幸は 霊界の存在を 否定する 証拠へと繋がります。
 
 ところが 唯物論を捨てると、別の角度から、
 
この世は 楽しいこと ばかりではない。 というより、楽しい だけなら 研修にならない。
と、考えます。
 
これが 3)  神や仏が 存在するなら 何故 戦争、疫病、飢餓、天災 など 悲劇が 起きるのか?  の答えです。
 
まして、研修シュミレーション中に 神が登場して、 『皆さん 悲劇が起きていますね。 でも これは シュミレーション(仮想現実)です。』 なんて ねたバラシに でてくる 筈がありません。
 
これが 4)霊界があるなら 神仏が 姿を 現さないのか。 の 答えです。
 
それから、悲劇は これからも 激しく 繰り返し 起こります。
戦争も、第3次や第4次 どころか 第 10次 世界大戦までも 必ず 起こります。
もっと 多くの血が流れます。
 
尖閣問題で アメリカ 日本 中国が 参戦したら 第3次世界大戦に 発展する 可能性も ありますよ。
ヨーロッパも 相当、不満不平たまっているし。軍事費だけは どの国も 削れませんから。
 
 第2次大戦なんて 爺さんの代に 起きた事象で、謝れ と 言われても、悪い事してない 世代が 悪い事されてない 世代に 感情込めて 謝れる筈 ありません。
 役者 1000人 雇って パフォーマンスさせても お互い 気がすむ でしょうか?
 
これが、 5) 生物が発生して 20億年以上たつのに、まだ 戦争している。全く 学んでいない。
人生が研修なら 進歩が見られない。 何故 人生を始める前に、種明かしを しないのだ。
の 答えです。
 
悲劇ばかりだと ひねてしまうので、 楽しみも 沢山ありますが、 基本的に悲劇は シュミレーションに不可欠です。 
(必ず起こるよう セットされています。)
シュミレーションの中が 幸せと平和だけで 満たされた時、 太陽が 爆発したり、隕石が衝突したりで
この世は あっという間に 無くなってしまいます。
 
 
 次に 自殺 臓器移植  が 何故 駄目か 簡単に触れて BETTY の 霊視に 戻らせていただきます。
 
私が 皆様に 説法するのは 場違いで、窮屈な 章が続きましたが、読み進めていただく上で どうしても お話しておかないと いけないと おもいました。
 
 
 
 

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