忍者ブログ
  • 2024.04
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • 2024.06
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【2024/05/18 17:37 】 |
[連載第2弾 私の霊体験 第 9話  唯物論 について!
 そこに 書かれていたことが 人生を左右するほど  重要だとは 思いませんでした。
 
 
 それは、何か、  『霊界通信』  とか? の 雑誌広告でした。

絶対にしてはいけない事として、 

「唯物的思考、 自殺、 臓器移植。」 
と 書かれていたのです。
 
当時の私にとって 全く 響かない言葉でした。
 
『朝から 何 寝ぼけた事言ってるの?』 と 見ていました。 
これが、「酒、煙草、博打」 とか もっと程度を下げ 「殺人、窃盗、強姦」 なら  誰でも ピンときます。 

物論 世の中 全て 人、物、金。 それしか ないでしょ。 

自殺 ? 確かに 逃げるという意味では、逃避機制ですが、大体 鬱病が引き金です。人間が 生より死に 傾くのは 病的精神状態で、別に 悪い事をするという 罪の意識はありません。
 
それに 臓器移植。 要らなくなった臓器 困った人達に分けてあげるのは 寧ろ 善でしょ。
 
これは、当時というよりも 50歳までの 私の考えでした。
 
今の私は、
唯物論 ---駄目。 それに、唯物論でない方が 得。
自殺 ---絶対駄目。 
臓器移植 --- 駄目。 
何故 いけないか分かります。
  
我々 物質界3次元で、育った人間は、霊界の存在を悟らないように そもそも なっており、唯物論で 死んでも 悪くはないと 私個人としては 考えます。

ただ 唯物的で 無い方が 得だとは、思います。

臓器移植は  自分の死によって、他の人が生を得るのであれば、寧ろ 善ではないでしょうか?

善悪で考えると 悪い事では 無い気もします。 (お世話になった体に対する レスペクトという 意味では悪かもしれませんけど。)
 
という事になります。
 
第一章。 唯物的思考が 何故 損か  御説明させて頂きます。
 
 人間が 唯物的で 無くなる瞬間 (私は 橋を渡る という 表現を使いますが) には、何某かの起爆剤 つまり 経験が必要です。
 
 私の場合 あり得ない偶然。 (小説にすると、それは あくまで 架空の世界 とか、創作以外ありえない と 一笑に伏される程の偶然。)、UFO目撃、霊能者との 出会い。 であった わけです。

(本当にあった 奇遇事件ですが、)
 和歌山県で、夫が浮気相手とデートしていました。
 たまたま 何処かのテレビ局が来ていて、背景に 二人が映ったそうです。
 それを、タマタマ 家族全員が テレビを見ていて 見つけたそうです。
 この程度は 序の口で もっと あり得ない偶然 ありますよね。
 
 人によって それが、臨死体験(死にかけても 臨死体験が 起こらない人もいます。)、退行催眠、UMAや霊の目撃 であることも あります。(確実に 見れる場所? あります。 怖いから 言いませんが。 )
 
 で、たまたま そういうものを体験すると、直ぐ 「俺は選らばれた。高級霊だ!!」 とか 「お役目が 回ってきた」 と 勘違いして、慌てて宗教を 始めたりする人がいますが、私に限って言いますと、単なる偶然で、そこに、霊性の高さ云々 という事象 全く関係ありません。 

 
 UFOを 大勢で見る事を UFOフラップ現象 と 言いますが、学校の朝礼、コンサート、大都市 など 大勢の前に UFOが 出現する事もあります。勿論、目撃する 人たちは 選ばれた人々ではありません。 偶然 その場に居合わせた だけです。
 
 
(私なんて、 地獄の 一丁目一番地 くらい で 中級霊界 ギリギリを 徘徊する 程度だと 自己診断します。 勿論 謙遜ですけど 笑)
 
 
 
 
 ところで、唯物論に、相対する考え方ですが、実は 2つ あります。
 
 1つは Substance dualism (実体2元論) と よばれるもので、 フランス人哲学者 デカルトによって 唱えられました。
 スピリチュアリストの 99%は このタイプで、物質的実体と 精神的実体の 2元で この世は なりたっているという 考えです。 
 
 
(デカルト)
 
「こんな 顔のおっさん苦手や。」と、学生時代 友達が言ってました。われ思うゆえわれあり デカルトです。
享年 54歳 私の 現在年令で、肺炎で他界しています。
 
 この時点で、デカルトは スピリチュアリスト? と する人もいますが、この世が終われば 魂だけ残るか 魂も消滅するか? で 立場が別れます。 肉体の死後 魂だけ 別の世界で暮らすと考える人が いわゆる スピリチュアリストです。
 
 
 
デカルトの考えた 2元モジュール。 赤い点で示された 部分 (視床下部)に 魂が着床すると唱えました。
「そんなの わかって たまるか?!」 って 事ですよね。 でも、意外と 霊感が作動していて 嘘のようですが 正しかったりします。 (何かこれ見てから 悲しいことや嬉しいことがあると、この辺から 感情が発信されている 感じが します。 気のせいでしょうか?)
 
もう1つは 「唯心論」 と 呼ばれる極論です。 (一番 世間では嫌われるタイプです。) つまり 魂以外 実体がない とする考えです。
 
私ですか?
私は スピリチュアリストの中でも 多分1%程度しか いない 唯心論者 です。
どう考えても、 この世が 実体であると 考えると  壁にぶつかり ひっかかります。
 
 物質的実体は 全て 心がもたらす蜃気楼で、実際は この世は ないのだろうと 考えています。

 つまり、映画館で 魂が 集まって 地球という タイトルの 映画 を 鑑賞している 状態です。
地震が 来て 津波が 起きたり、時には、 飛行機が墜落したり。

 
でも、外れたら申し訳ないので 95%くらいと お伝えしておきます。 5%は デカルトの考えも 分からないでも ありません。
 
 ただ、現時点では、唯物論者 唯心論者 二元論者 なんでも結構です。 気にせず 読み進めて下さい。
 
 皆さんが どのグループの 人でも 私は 一向に かまいません。
人は、どうでも 良いという 投げやりな 態度ではなく、いくら 口角泡を飛ばして ご説明しても
所詮 非科学の分野で 証明 できないからです。

 たとえ 100まで 生きても 唯物論を 確固たる信条として 墓に持って入られる方も沢山 おられます。

 
 
でも、唯物論 だと ちょっと 損をされる事があります。 生き様が 大きく変わってきます。
 
これから その事を お話します。

 
 
 
 

拍手[2回]

PR
【2012/09/16 13:30 】 | 私の体験談(連載) スピリチュアル ドキュメンタリー | 有り難いご意見(0)
<<連載第2弾 私の霊体験 第 8話  | ホーム | 私の霊体験 第10話 (人生のねた バラシます。)>>
有り難いご意見
貴重なご意見の投稿














<<前ページ | ホーム | 次ページ>>